焦らない焦らない

 
先週は平日のあひだまつたく編み針に触ることがなかつた。
通勤の友はタティングレースシャトルなのだが、これもちやんと触れたのは三日ほど。しかも通勤途中や昼食時間の極々わづかなあひだだけなので、まつたく進んでゐない。
九月からこの方始発のバスに乗つてゐて、家に帰つてくる時間はそれ以前とかはつてゐない。職場が遠くなつた分、以前より帰宅時間が遅くなつてゐる。
 
ふと目につくのが編みかけのもの。結びかけのもの。
 
土日にできるだけさはるやうにしてゐるが、なんだか時々時間に追はれてゐるやうな気分になる。
 
五月の連休の一日、「今日は編みたいだけ編む」と決めたことがある。
その時、いつもとちがふ楽しさを感じた。
時間を気にせずに編んでゐられる楽しさである。
普段は時間を気にしながら編んでゐる。早く寝なければと思ひ乍ら、あと一模様、あと一段、あと一目を編んでゐる。
さうした制約がまつたくない状態で編んでみると、普段はまつたく周囲の見えないやうな閉鎖された状態で編んでゐるかのやうな気がしたものだ。
えうは、五月の一日、やつがれはとてもひらけたところで編んでゐるやうな気分だつた。
場所は常と変はらぬ狭い我が家だといふのに。
 
だが、今の生活では、五月のその一日のやうな日を過すことはほとんど無理だと云つていい。やらねばならないこともあるし、ほかにやりたいこともたくさんあるからだ。
 
だから、ここは、編みたいものを編んで、仕上げられるものから仕上げて行かう。
と、これもいつも思ふことである。
 
ひとまづは、方眼編みのレースを編み上げた。現在整形中。
方眼編みは長いこと苦手としてゐた。今日久しぶりに編みかけのものを手にし、あまりのひどさに全部ほどいて編み直してみたらこはいかに。
なんだか、いいぢやん。
 
さういふ、「なんだか、いいぢやん」を日々積み重ねていけたらなあ、と思ふ。
 
…………んー、ちよつとむづかしいかな。