やはり惜しい

 
明日「航路」の原書Passage: A Novelがやつてくるので確認したい。
 
その後、やはり惜しい部分があつて。
それは編み物の「型紙」といふ表現である。
 
おそらく原書には「pattern」または「patterns」とあるのにちがひない。
もちろん、編み物でも「型紙」を起こすことはある。厳密には型紙ではないのかもしれないが、編み上がつたパーツをその上に載せて整形するといふ寸法だ。
 
しかし、編み物の場合、「これの型紙、持つてたりしないわよね」とは云はない。
多分これは十中八九「編み方」あるいは「編み図」のことである。めりけんでは「編み図」はあまり見られないので「編み方」であらう。
 
なんでこんなに「航路」にひつかかるのかといふと、このほかの部分は実に自然だからである。中に心臓の悪い少女が出てくるのだが、この子なんかもうほんと、知り合ひみたやうな気がするくらゐである。
だからこそよけいに突然編み物の「型紙」を求めたり「アフガン編みをとりだ」したりする登場人物がゐたりすると、違和感を感じてしまふ。
 
なんだかまるでフォローするやうで申し訳ないが、でもほんたうに「航路」、おもしろい本である。よろしかつたら是非。