本が読みたい

 
好きなものができるとそれに関する本を読みたくなる。
 
これまでもずつとさうだつた。
芝居の本とか、PDAの本とか、やたらと読んだ。購入できないものは図書館頼み。今でも「これいいなー」といふ本があるとつい買つてしまつたりする。
 
だが編物やタティングレースはかうはいかなかつた。
編物やタティングレースの場合、本といふと編み図や結び方の本になる。もちろんさういふ本も必要だしほしいのだが、なんか、もつとちがふものが読みたいのだ。
たとへば、編物でいへば何度も書いてゐるが群ようこの「毛糸に恋した(ISBN:4794928017)」みたやうな本。あるいは橋本治の「男の編み物(ニット) 橋本治の手トリ足トリ(ISBN:430926123X)」みたやうな本。もしくは_Yarn Harlot (ISBN:0740750372)_でもいい。
えうは編物のことについて書いてある本が読みたいわけだ。編物にはさうした本もないわけではないが、タティングレースとなるとこれがほとんどない。
 
最近だと紡ぎの本とか読みたいわけだが、これもタティングレースと似たりよつたりか。そもそも紡ぎは紡ぎだけでは終はらない。糸を作つて、さてそこからどうしませう、といふところだらう。
しかも、どうにも紡ぎ車での紡ぎにあまり興味を惹かれないので、さらに選択肢はせばまつてくる。
 
そんなわけで、_Spin It (Spin It: Making Yarn from Scratch)_とか_A Handspindle Treasury (ISBN:1883010853)_なんかを読んでゐるわけだが。
前者はどちらかといふと読み物ぢやないからなあ。後者は読み物が多くていいけど。
 
と思つてゐたら、さう後者の編者による_Spinning in the Old Way (ISBN:0966828984)_といふ本に出会つた。以前出版した本に加筆したものらしいが、これがなかなかよい本である。
まづ、持ち運びしやすい大きさだといふこと。
先に上げた二冊は大判だ。A4に近い大きさである。絵や写真の多い本はどうしてもさうなりがちで、実際これより小さかつたら見づらくなるのだらうと思はれるが、でもやはり、本は持ち運べる大きさがよい。
本書はよくある四六判よりは大きい。ノートと教科書の中間くらゐだが、それでもかばんに入れて持ち運ぶのには問題ない。電車の中でも比較的容易に読める。
さらに、全部白黒ではあるが絵で説明してあるところもいい。
これも以前から何度か書いてゐるが、何かを説明する時に写真がいいとは限らない。上にあげた橋本治の本の中にも出てくるが、絵の方がいいことが多いのである。写真には意図しないものまでうつりこんでしまふ。絵ならば必要な部分だけ描けばいい。また写真なら影ができてしまふやうな部分も絵ならば明解に描くことができる。デフォルメも容易だ。
残念乍ら、本書の絵はすべてがすべて「わかりやすい」とは云へない。説明文があつて、それの補助にはなつてゐるかもしれないが、おそらくまつたく紡ぎをやつたことのない人には「?」な部分も多いのではないか。
あともうひとつ疑問に感じる点があるとすれば、おしつけがましい記述が散見されるといふことか。
でもこれは仕方ないかなあ。「この世にはこんなすばらしいものがあるのに、なんで世間の人はみんな知らないのか知らん」といふ思ひにかられたら、まづかういふ書き方になつてしまふだらうからだ。
著者は、スピンドルでの紡ぎ(特にHigh Whorlといつて独楽の部分が上にあるスピンドルでの紡ぎ)はとてもすばらしいものだと思つてゐる。元々は紡ぎ車を使用してゐたらしいが、今ではすつかりスピンドルに傾倒してゐるやうだ。そして、このすばらしさをひろく知らしめたいと思つてゐるにちがひない。
 
まあしかし、なにを云つても、読んでゐておもしろいからいいのである。
各章の冒頭に柳宗悦の文章が引用されてゐるのも興味深い。
 
この本で、スピンドルをまはすのに腿の上をすべらせてまはすといふ方法が出てくる。
実はやつがれ、ここのところ左手の親指が痛くて仕方がない。どうやら「まはしすぎ」なんではないかと思はれる。「紡がんやうにしないとなあ」と思ひつつ、つい紡いでしまふ。
♯さう、やつがれ、繊維は右手に持ち左手で独楽をまはしてゐる。
 
腿の上をすべらせる方法でいくと、親指への負担はかなり軽減される。
問題は独楽の回転がはげしく速くなるといふことだ。
特に最初のうちはあまりの勢ひに撚りがかかり過ぎ、その速度についていかうとして繊維を引き出してゐると細くなり過ぎあるいは太くなり過ぎ、太い部分をなんとかしやうとすると細くなり過ぎてそこに撚りがかかつてぷつんと切れてしまふ、なんてなことが頻発した。
何度かやつていくうちに勢ひを制御できるやうになつてきたけれど、まだまだうまくできるとはいへない。
 
これまた何度かやるうちに、これはどうも紡ぎ車で紡いでゐた人の好む方法なんではないかといふ気もしてきた。
慣れてくると、スピンドルが実によくまはる。速くまはるし長くまはる。すなはちこの速度についていければ紡ぎもかなり速くなる。
 
しかし、別に速く紡ぎたいわけぢやないんだよね。いや、速く紡ぎたいと思ふことはあるが、それでは「More, more, more」の世間となにもかはらないことになる。速さをもとめるならスピンドルぢやなくて紡ぎ車を使へばいいし、さらには手動でなくて自動のものを使へばいい。
いや、そもそも世間で販売されてゐる糸を使ふのが手つ取り早いんぢや?
 
さう思ひつつも、この方法だとくつ下編みに向いた毛糸が紡げるかなあと思つたりもするのだつた。
これまでできた糸(もどき)は単糸の状態では撚りがかかり過ぎてゐて双糸の状態では撚りが弱い(やうな気がする)ものばかりだ。結果編んでみるとなんとなくふはつとしたものが編めるけど、それつてくつ下には向かないよな。
そして一番編むのはくつ下だといふことを考へると、手で紡いだ糸はそれに向かないといふことになつてしまふ。
 
またくつ下は市販の糸で編むことにして、手で紡いだ糸は別のものを編むことにする、でもいいんだけどね。
 
と、とにかくまだ「糸」と呼べるやうなものを紡げないやうな段階なので、あれこれ云ひつつもとにかく修行をつむしかない。
修行をつんで……糸もどきの残骸ばかりが増えてゆく。とほほ。