お弟子さんな気分

 
まだRowan & Jaegerが恵比寿三越にあつたころ。
Rowan Calmerを購入した。
なぜか9玉しかなかつたが、予定作品を告げると「糸長もあるし、大丈夫」と店長さんに太鼓判を押された。
 
元々は、_Classical Knits for Real Women (ISBN:1571203699)_に掲載されてゐるシャツ襟のセーターを半袖にして編むつもりだつた。
 
気がかはつた。
 
Hourglass In Progress

長いこと箪笥の奥から取り出しては「きれい」と眺めてまた奥へしまひ込む日々の果てに、結局_Last-Minute Knitted Gifts (ISBN:1584793678)_の大人気作品、Hourglassを編むことになつた。
 
Hourglassはだいぶ以前から編みたいと思つてゐた。
みなもすなるHourglass-Knittingといふものを我もしてみむとてするなり。
みたやうな。
 
しろまるさんの至高の実況中継を幾度読んだことだらう。何度も読んでゐるのに何度読んでもおもしろい。
 
今回も幾度目かの再読をしつつ、思ひきつてとりかかつてみた。
 
私家版Hourglassはしかし幾分変則的である。

  1. 裾は編み乍ら始末する
  2. 基本的には綿の糸である
  3. スリットがある!

 
1は、しろまるさんにならつた。しろまるさんは後でまつりつけてもいい、と仰つてゐるが、やつがれ、自分の縫ひもの能力を信頼してゐない。編んですむならすませたい。そんなわけで別糸のくさり編みから目を拾ふところから開始。
 
Hourglass Hem
 
こんな感じで「つれてゐない」とは云へないが、でも縫ふことにしたらもつとひどいことになるのは火を見るより明らかなのでいいのである。
裏から見るとこんな感じ。
 
Hourglass Hem Wrong Side
 
CalmerといふとAudrey、かのう。
編んでゐても綿と化繊の混紡とは思へないほど伸縮性がある。だからリブ編みに向いてゐるのか知らん。
最初はこの伸縮性のおかげで編みやすいやうな気がしてゐたけれど、ほら、やつがれ不器用大王なものだから、次第にこの「人工の伸縮性」にやられていくのだつた。なんとなく手の甲が疲れる気がする。きつと器用な人といふか適応能力のある人はすぐに慣れてしまふのだらうなあ、といふ気がする。
 
しかし、それを補つてあまりある編み地のきもちよさよ。
これで洗濯機でがんがん洗へるやうなら素肌に直接着てみたいものである。ゴム編みにするよりメリヤス編みの方がいいんぢやないかといふくらゐ、きもちよくなめらかな編み地ができる。
ローワンの糸なので、例によつて洗濯に問題がある。下になにか着ないとダメだ。
 
ここまではまあそれほど異常なことでもない。
問題は3だらうな。
スリット。
Hourglassは愚思へらく、輪に編むのがキモの作品である。
それにスリットを入れるといふことは、すなはちその部分は往復編みする、といふことだ。
無論糸によつてはスリット部分だけ切り裂くといふ手もあらうが、今回はCalmerである。使へなくもないがその手は使ひたくない。
そんなわけで、前後身頃とも最初の十段ちよいくらゐは往復編みをした。
ま、そんなに大袈裟に語るほどのことでもないか。
 
ところで題名の「お弟子さんの気分」だが。
 
今回、「編まう」と心に決めてこの糸を取り出してきて、「だが待てよ」と思ふことがあつた。
どこかで見たやうな色なのである。
SH478 Joy(廃番色)は、上記_Classical Knits for Real Women_での指定色だ。さうでなければ普段は買はないやうな色である。
なのにどこかで見たやうな色?
 
むう。
 
ちなみに、ここでは時に意図的に「編物」以外の話題も取り上げるやうにしてゐるやつがれだが、ひとつだけちよつと避けがちな話題がある。
まんがとかアニメーションに関する話題だ。
主に「年がバレるから」といふのと「知つてゐる人と知らない人の差が激しいから」といふのが理由だつたりする。将棋の話は知らない人の方が多い(ここに来る人は、といふ限定で)だらうから、かへつて取り上げやすい気がする。
 
だがまんがやアニメーション。
 
と思つてゐたら、「大丈夫。Gさん(やつがれだ)の話なら絶対年はバレないから」と、職場の人が自信たつぷりに云つてゐたので、それにすがることにする。
さうだよな、最近TVコマーシャルでトニー谷のネタをとりあげてゐるものがある、といふ話でもりあがれる人といふのはおそらくやつがれの年代ではさうはゐないはずだ。だつて京極堂が関くんに一席ぶつてるくらゐだもんね、「トニー谷の藝風は」とか。
 
それはさておき。
 
つまり、この色つて、なんとなく、師匠の道着の色を連想させるのだつた。
師匠、すなはちピッコロ大魔王(こども)である。
いや、この場合、ピッコロ大魔王(親)でもいいのか。でもさうすると話がつながらなくなるのでやはりここは(こども)で是非。
 
ドラゴンボール」は世界に冠たる作品であるが(だつてNHKのドイツ会話講座で日本語を学ぶドイツ人に「尊敬する日本人はたれですか」つて質問したら「鳥山明」つて答へてる子がゐたし)、案外本邦ではそれほど知られてゐない気がする。昨今の「お笑ひブーム」とやらでTVでいはゆる「お笑ひ番組」を見る機会が増えてゐて、そこに出てくる藝人の中には「キン肉マン」や「ドラゴンボール」をネタの中に取り入れてゐるものも多い。そのネタがわからない人が結構ゐるんだよ。やつてる藝人がそれを理解してゐるのかどうかは知らねども。まあお笑ひといふのは「差別」から生まれてくると考へればそれでもいいのかもしれないけどさ、でもどうも彼らは「このネタは理解される」と思つてやつてゐるやうな気がして仕方がない。
 
話がどんどんそれていくが(だから「まんが・アニメーション」ネタは書かないつもりだつたのだが)、「ドラゴンボール」ではすつたもんだの挙げ句、主人公・孫悟空の長子・孫悟飯がピッコロ大魔王の弟子になるといふ展開になる。んでまたすつたもんだあつて師匠は弟子をかばつて死んぢやつたりして満都の子女の血涙をしぼるわけだが、それもさておき。
 
弟子・悟飯はさらにすつたもんだあつて、当の師匠も知らなかつた師匠の故郷・ナメック星に行くことになる。師匠その他すつたもんだあつてあの世に行つてしまつた人々を生き返らせるのがその目的。
 
この時に、なぜか悟飯は師匠とおそろひの道着を用意してくるんだねー。
どうやつたんだらう。五六歳の男の子だぜ。しかもその母親は己が子が戦ふのを忌み嫌つてゐる。祖父はあつても祖母はない。うーん、ミステリー。
 
もとい。
 
そんなわけでこの糸で編んでゐると、苦心しただらうお弟子さんの気分になつてくるわけである。
 
悟飯の気分つてどんなだらう。
ここはやはり、「大きくなつたらえらい学者さんになるの」だらうか。
でもこれ以上大きくなつたら困るし、ならない。
あるいは「お父さんをいぢめるなー」だらうか。
でも別にやつがれの父がいぢめられてゐるといふ事実はない。
もしくは「ピッコロさん、大・大・大・大・だ〜い好き」、かな。
 
お後がよろしいやうで。