わかつたぁぁぁ(加藤武風に)

 
全然関係ない話で恐縮である。
加藤武が元気なうちに田辺誠一金田一耕助を見たいとつねづね思つてゐたのだが、加藤武は元気なんだらうか。釣りバカ日誌とか見ないからわからないんだよなあ。同い年だといふ紀伊国屋はもうせん立ち居が不自由なやうすだし。
金田一耕助をたれがやらうと、あの役は加藤武でなくては。
 
これまた話が遠ざかつていくが、時々「Eureka!」といふ題名でメイルを打つてしまふことがある。職場でもやる。問題が発生してゐるんだがなにが原因かわからない。ああでもないかうでもないと考へてゐたその時、突然ぱつとひらめく。
「Eureka!」
 
なんか、これつて加藤武の「わかつたぁぁぁ」に通じるものがあつたりしないだらうか。
 
もとい。
 
日曜日に手作りの道の先達お三方にお会ひして、「ああ、さうだつたのか」ととても納得したことがある。
それは、人間にはそれぞれに適した大きさがあるのではなからうか、といふ話。
 
なんのこつちや、だらうか。
 
その時例に出た話はこんな感じ。
彫刻でたとへると、指輪やなにかのちいさな細工物が好きで得意な人もゐれば、巨大な岩を切り出してきたものや大きな丸太から大きなものを削り出すやうなのが得意で好きな人もゐる。
手芸も同様で、ドールハウスサイズの刺繍やレース作品を作るのが好きで得意な人もゐれば、ナナちやんが着るやうなサイズのものを縫ふのが好きで得意な人もゐる。
……つてナナちやんは大袈裟か。
♯説明しやうっっ。ナナちやんとは名古屋名物(?)名鉄セブンのナナちやんである。
♯きつと今頃はサンタさんの格好をしてゐるんぢやないかな? まだかな?
 
もちろんどんな大きさでもどんとこいなalmightyな方もゐらつしやることと思ふが、この話を伺つて、
「それぢやあきつと自分のサイズは「くつ下サイズ」だな」としみじみしたのである。
 
以前も書いたが、くつ下を編んでゐると妙に充実した気持ちになることがある。前に書いた時は、「針を四本も五本も同時に使つてちんまりしたものを編んでゐる自分に酔つてゐるのだらうか」と思つてゐた。なんたつて不器用大王なものだから、細い針を何本も使つて(とはいつても同時に使ふのは二本だが)中細糸でなにか編む自分といふのがちよつと信じられないこともある。我に返ると「……をやまあ」つてな感じだ。
 
同じ感覚が、タティングレースを作つてゐる時にもある。
どうも両手の動く幅が肩幅以内くらゐで、大きくてもくつ下どまりのサイズが好きらしい。タティングレースでは一度藤戸先生の「華麗なるレース タティングレース」に掲載されてゐるわりかし大きなドイリーを作つたことがあるが、巨大すぎてどうしたものやら悩むことしきり。ドイリーは大きくても直径20cmまで。それ以上になるとどう取り扱つていいものか途方に暮れてしまふ。
またあまり大きいと作つてゐて飽きるといふこともある。近頃面目次第もないのう。
 
ちなみに紡ぎはといふと、まだ撚りの加減がわからないので(まだわからないんかい)独楽が下にあるスピンドルを使つてゐる時は持ち上げてしまふことしばしば。ただ原毛を持つてゐる手の引き方はまつつぐ上から斜め上になつてきてゐるので、そのうち横に引いたりしないかなあ、と、ちよつと期待してゐる。そんなわけでどうも紡ぎ機には興味がわかないのかもしれない。糸車とかチャルカにはちよこつと心惹かれるけど。
 
わかつたからどう、といふわけぢやないけれど、今後毛糸を買ふ時とか紡ぐ時とかに役に立ちさうではある。大きな物は作らないんだから、毛糸の量もそんなに必要ぢやないといふことだ。「このセーター、編みたい」と思つたら1/6サイズとか1/5サイズに編めばいいのである。
 
嗚呼、しかし、既に箪笥の中にある数多の毛糸を奈何せん。
さう思ひつつ、Hourglassを編める。