日本語だけで暮らしたい

 
この時期にまだ喉が痛い。
普通、寒い時期はずつと痛いのでまあいいんだが(ほんとはよくないけど)、例年ならそろそろよくなつてもいいころだ。
花粉か。黄砂か。はたまた寄る年波に勝てないのか。
♯最後だよ。絶対最後。
 
そんなわけで、なにか襟元をあたたかくするものがほしい。時期的にもう毛では暑過ぎる。在庫をあさつてゐたら去年三ッ葉屋で一玉だけためしに購入した竹と綿の混紡糸がでてきた。
これでいくべ、と、これまた去年のInterweave Knitsは夏号のおまけ・Something SweetからPenobscot Silk Scarfを編むことにした。
これには、襟巻がほしいといふのとはまた別に理由がある。
あちらこちらのweblogなんぞを拝見すると、ほんたうにすてきなレース作品がたくさんある。やつがれの手元には編みかけでどこをどうまちがつたのか最後どうしても目の数があはなくなつてしまつたEneがある。ほどいてやりなほすつもりで、まだそのままでゐる。
どうも棒針編みでレースを編む時はさうなりがちである。何段か編んだ後、最後の数目数が足りない。あるいは多い。どこかで編み方をまちがへたのだらうが、どこだかわからない。ほどかうにも三目一度やもつと多い数の目を一度に編んでゐる部分があつてうまくほとげない。
 
きつとヲレには棒針編みのレースはむかないのだ。
さう思つてゐたのだが。
 
うーん、考へてみたらレース編みのくつ下は編めてるぢやん?
もつとつきつめてみると、一模様の目数がそんなに多くなくて、四段一模様みたやうな模様だつたら、編めるんぢやないか?
 
Penobscot Silk Scarfの模様は四段六目一模様だ。これならなんとかなるんぢやあるまいか。
 
といふわけで、今のところなんとかなつてゐる。
 
問題は、編み上がつたら整形しないといけない、といふことかな。
 
ここで、やつがれはまづ「ブロッキング」とかましてや「ドレッシング」とは書かない。編物をする人ならともかく、さうでない人には「ブロッキング」「ドレッシング」は通じないから、といふのが表向きの理由で、「日本語で云へるんだから日本語で云はうや」といふのがほんたうの理由だつたりする。
まあ、でも、表向きの理由にももつともなことはある。
ブロッキング」といつて、編物をしない人はなにを最初に想像するだらうか。排球や籠球の技か。……で、排球や籠球は通じないことはないと思ふが、もつと通じやすいことばがあるのでそちらを使ふ。バレーボールやバスケットボールの技か。
「ドレッシング」といつたらサラダを食べる時のあれしか思ひつかないんぢやなからうか。
 
「整形」ですむ話なのになあ。「整形」なら二文字ですむ。まあこんなところで文字のすくなさを競つても意味はないけどね。でも見た目にも「整形」はわかりやすい。

だけど、口に出すときは「整形」もなるべく避ける。なぜなら同音異義語がたくさんあるからだ。
ぢやあ口に出すときはなんて云ふのかつて?
「かたちをととのへる」だ。これでまづ聞き手側もまちがへることはない。
 
これだけ長いこと使用してゐる漢語でさへ耳にする時は和語よりもまちがへる可能性が高いのだ。いはんや英語をや、である。
 
と、斯様に理論武装(さうでもない?)してゐることからもわかるやうに、「ブロッキング」「ドレッシング」を使はないのは単に趣味の問題である。先も書いたやうに「日本語があるんだから日本語で云はうや」くらゐの気持ちだつたりする。
なんで日本語ぢやダメなのかな? なんで最初に訳す時にわかりやすい日本語にしてくれなかつたんだらう。
紡ぎをするやうになつてつくづくさう思ふことが多い。
おそらく、綿や絹を紡ぐ時にも使ふやうな用語はそのまま元々あることばをあててゐるんだらう。また、明治以降さかんになる繊維業界の関係で、一部当時新たに生み出されたことばがそのまま残つてゐるのだらうと思はれることばもある。
でもなあ……たとへば「スカード」とかなんとかならなかつたんだらうか。普通に「スカード」といつて通じるだらうか。通じないよね。まづ通じない。「カーディング」もさうだ。普通は「カード」にingがつくなんて思はないものだ。でもほかになんといつたら……「毛を梳く」? でもさうしたら「コーミング」とはどう区別したらいいんだらう。
 
まあいまさら云つても詮無きことではあるけれど。