がま口の財布が好き

 
もうせんビーズ入れてがま口のポーチが編みたいと思つてゐた。
現在とても気に入つてゐる鞄があるのだが、これがちぃとばかりこぶりである。ほぼ日手帳と財布とポーチを入れたらほかにはなにも入らないかもしれないといふていたらくである。
この時はたとひらめいた。
以前、がま口のポーチを使用してゐたことがあつたが、かなり入るわりにはひらたくおさまつてとてもよかつたのであつた。

かくして。
かぎ針編みでがま口のポーチを編むぞ、といふ野望に燃えてしまつたのだつた。
なぜかビーズを入れることはきまつてゐた。
かぎ針編みでがま口ときたら、当然ビーズは入つてゐるものだらう。
なぜかさういふ思ひ込みがあつた。
 
ところが。
行きつけの手藝店には穴のあいたがま口用の口金がない。
あつても小銭入れくらゐのちいさなものしかない。
穴のあいてゐないものなら多少のvariationはあるものの、ビーズを編み込んだ時にはほぼ必須と思はれる、編み地を縫ひとめる穴があいたものがほとんどないのである。
 
この時は仕方なく小銭入れで練習でもしやうと思つて小さな口金を二つ購入した。
その後、幸ひなことに口金を扱つてゐるお店を教へてもらひ、「ぽちつとな」してしまつた。
また、さらにwebで検索をかけてみると、浅草橋とか蔵前あたりにさういふものを扱つてゐる問屋さんがいくつかあるらしいといふ話も見かけた。
 
しかし、まづは目先の小銭入れである。
 
といふわけで、この週末はこんなものを編んでゐた。
 
Beaded Crochet Purse
 
元にしたのは「下田直子のビーズ編み(asin:4529045005)」の一等最初に出てくるがま口である。
糸はオリムパスのエミーグランデは804番。ちよつと生成りがかつたもので、かなり好きだつたりする。
針はNo.0。
本ではテグスで口金と縫ひつけることになつてゐるが、あいにくとテグスの持ち合はせがなかつた。TOHOのビーズ手藝用の糸で縫ひつけることにした。
ビーズはTOHOの丸大ビーズ。No.161, 170, 172をそれぞれ同じ割合で使用してゐる。いづれもちよつとオーロラ加工したやうな透明のビーズで、色は透明、淡い緑色、淡い水色である。
写真だとわからないし、ぱつと見た感じも全部同じ色のビーズに見えるが、ま、そこはそれ、である。
いいんだ、自己満足でも。
どうもビーズはそれ自身に色がついてゐるよりも、かういふちよつと透けてて輝きのある方が好きらしい。元の糸の色が生きたり、またちよつと変はつた色に見えたりするのがいいのかも。
参考にした本にはガンメタル系のビーズも数多く使はれてゐて、それもいいなあと思ふのだが、ま、これから暑くなるしな。ちよつと夏向きながま口に仕上がつたと思ふ。
 
手間だつたのは、そんなわけでビーズを通すこと。
三種類のビーズを混ぜてランダムに針に通してゆくのだが、これに時間がかかつた。まあビーズ手藝の宿命ではあるな、stringingといふのは。
それから、口金に縫ひつけるのにも一苦労。
もともと縫ひものは大の苦手ときてゐる上に、縫ひつけにくいことこのうへない。
そんなわけで、三回ほどやりなほしたが、それでも「なんだかなあ」な出来である。
うーん、数こなせばうまくなる? つてーか、数こなさないとダメ?
 
できれば裏地をつけたかつたのだが、これまたあいにくと手元に布地といふものがない。縫ひもの系の手藝はやらないからな。いや、やらないこともないのだが、これの裏地にしたいやうな端布がなくてな。
大きいものを作つたらやつぱり裏地はゐるだらうなあ。うーん……。
 
ところで、ビーズ入りのがまぐちを編むのつて案外いいことに気づいた。
世の中に「SABLE」といふことばがある。
「Stash Aquisition Beyond Life Expectancy」、すなはち、一生かかつても使ひきれないほどの毛糸をかかへること、だ。
確かに我が家の毛糸や糸は、SABLE状態である。
だが、毛糸や糸なら、なんとなくその気になつたら使ひきれるやうな気もしないではない。
「編むぞ〜」と燃えればそれなりに使へさうな気がするからである。
♯もちろんそれはただ「気がする」だけで、ほんたうは二進も三進もルイ・アームストロングかもしれないことにかはりはないのだが。
 
我が家には毛糸・糸よりヤバいものがある。
それがビーズである。
ビーズはそれこそ一生かかつても使ひきることはないくらゐの量がある。
理由は単純だ。
ビーズは好きだがビーズ手藝はしないから。
 
やつとことかペンチとかなんかよくわかんないけどやたらと道具が多さうなビーズ手藝はどうも苦手である。ビーズ手藝用の糸があるくらゐだから、ビーズ編みの作品も作つたことはあるが、やはり自分向きではない気がする。
 
その一方で、なぜかビーズを買つてしまふ。一度に買ふ量はたいしたことはない。スワロフスキーやチェコビーズなどよりも普通の丸ビーズの方が好きだから、高価なものもそんなにあるわけではない。
 
なのになぜ買つてしまふかといふと、編物やタティングレースに使ふからだ。
 
問題は、使ふといつても年がら年中使つてゐるわけではないことだ。
 
そんなわけで、やたらとビーズはたまり、見るたびに「…………どうしやう」とため息をつくことになるのだつた。
 
だが。
このこぶりながま口でさへ、500個をくだらないビーズを使用してゐる。
TOHOの丸大ビーズだつたら一袋以上使つてゐる寸法になる。
これは一目おきにビーズを編み込んでゐるが、もしビーズを毎回編み込むやうにしたら、そして、もつと大きな財布を編むことにしたら、あつちふ間にビーズが減るんぢやないか?
 
捕らぬ狸のなんとやら。あさはか、と、人は云ふだらう。
そもそもビーズは重たい。この財布は一目おきに編み込んでゐるからいいが、毎回編み込んでゐたらそれだけでずつしりとしてしまつて小銭なんぞ入れやうものならさあ大変といふことになるのは火を見るよりも明らかだ。
大きいものならなほさらだ。
 
それでも、もうこのまま死ぬまでこのビーズの山を抱へて生きてゆくしかないと思つてゐたところに、ほんのかすかではあるが光明のさす思ひがする。
 
とりあへず、口金は注文してしまつたので、その分くらゐは編むだらう。
手持ちのビーズを使へば、かなり減らせるはずである。
 
さう、手持ちのビーズを使へば。
 
このあたりに落とし穴がある。