Why is My Stash Growing Even Though I Don't Go to My LYS?

 
遠くの手芸屋に行くから?
ま、そんなところだ。
 
えうは「ぽちつとな」してしまふのがいかん。
 
といふわけで、夕べ終電に乗りタキシー待ちの長い列に並んで帰り着いたやつがれを待つてゐたのがこれである。
 
Alice Starmore Hebridean 3Ply Driftwood
 
Alice StarmoreのHebridean 3Ply。色はDriftwoodである。
ちなみにこれを編むつもり。
 
この毛糸、実にいい。
まづは色。茶色ともちがふ。灰色ともちがふ。だが茶色でもあり灰色でもある。そしてほんのりもやの霞むやうに紫がかつてゐる。名も知らぬ遠き島から流れついたよるべなき木片とはこんな色なのかもしれない。風にさらされ波にあらわれ、渋みのまさつた色である。
 
手触りはといふとたいへんにやはらかい。やはらかくて弾力がある。
 
先日、森茉莉のことをちよこつと書いたけれども、やつがれ自身は仏蘭西にはそれほど惹かれない。興味はとてつもなくあるのだが、仏蘭西のもので「これ好きっっ」といふものがそれほどない。どうやらラテンの血が流れてゐないやうなのである。昔から独逸とか英吉利とか好きだしな(仏蘭西にも独逸にも英吉利にも行つたことはないけれど)。たとへばワインなんかもお仏蘭西の赤ワインよりは独逸の白ワインの方が好きだつたりする。
 
さういへば、手芸の好きな人には「赤毛のアン」狂ひの人が多いが、これまた苦手だつたりする。「赤毛のアン」で一番印象に残つてゐるのは銀行がつぶれるところ、そしてそれを知つたマシューが衝撃のあまりあの世の人になつてしまふところ。
幼心に「銀行つてつぶれるんだ」「銀行がつぶれるとショックで人死にが出るんだ」と、そればかりが記憶に残つた。
赤毛のアン」よりは「若草物語」が好きだなあ、と思ひ込んでゐて、数年前に「若草物語」を読みなほしたらなんだか説教臭くてこれまたダメだつた。
ただ、ウィノナ・ライダー主演の「若草物語」を見て、なぜ「赤毛のアン」ではなくて「若草物語」が好きなのか、わかつた。
 
「色」だ。「色」がいいのである。
 
グリーン・ゲーブルズはその名の印象か、はたまた作品の中の春の場面の描写がすばらしいためか、どうも色鮮やかなイメージがある。また主人公の「赤毛」の「赤」その腹心の友の髪の「黒」も一役かつてゐるのかもしれない。白く赤く花の咲き乱れて、緑が目にしみていたい、そんな感じがする。
映画で見た「若草物語」は陰鬱な雪の日々、空は雲の低くたれこめてどんよりと灰色で、時は南北戦争まつただ中、生活の苦しい姉妹の身につけるものは紺色や茶色灰色、どこかくすんだ色の服である。家の中にはぼんやりと蝋燭の灯、そこで手芸にいそしむ女性たち。
 
この地味でうすぐらい色合ひがたまらなくよかつたのだ(映画はともかく)。
 
まだ編んでみてゐないのでなんとも云へないけれども、色といい手触りといい、「早く編みたい」と気ばかり焦る。
 
だが今は先程途中までほどいたばかりの帽子をひたすら編んでゐる。
編み上がつても使へるのは次の冬だがな。