たまに死ぬ

 
将棋の棋士先崎学八段の「フフフの歩(ISBN:4062731223)」にそんなやうな一文が出てくる。
棋士といふ職業に従事してゐると、once in a while 「死んでみる」ことが必要なのだ、と。
さうして一日家に籠つて布団にくるまつてゐたりするのらしい。
 
「死ぬ」なんて気安く口にするんぢやない、といふ向きもあるかもしれないが。
この「たまに死んでみる」つて甚だ僭越乍らなんとなくわかるやうな気がするのだ。やつがれ風情でもたまには外界との接触を断つて家に籠つて(編み編み編んだり結び結び結んで)みたいな、と思つたりする。いはんや棋士をや、だ。
 
ところでほかの棋士はどうなのかと思つてゐたら、先日NHKのドキュメンタリで羽生善治三冠を取り上げてゐたのを見て「ああ、これか」と思ふ場面があつた。
羽生三冠は連盟に用事のある時は渋谷から将棋会館まで徒歩で行くのださうである。
おそらく、これが羽生三冠にとつての「死んでみる(羽生三冠はかういふ表現はしないだらうが)」なのだらう。
 
といふわけで、といふわけでもないのだが、ここのところやつがれも「死んでみ」てゐた。
あひかはらず編んだり結んだりしてゐるのだが、心持ち「ひきこもつてゐる」感じ。
職場にも毎日行つてゐるけれど、必要がない限り自分の作業に「とじこもつてゐる」感じ。まあ職場ではなかなかさうはいかないけれどもね。
 
本屋に行つては編物関連の新刊を手に取り、「あれもこれも乙女系か」とためいきついてみたりね。
そんな中では今年はパピーの手編みの本がちよこつとよかつたかなあ。案外新作毛糸作品が少ないところも好感がもてる(本と毛糸の発売時期の兼ね合ひかなとも思ふが)。買つてるかもしれないな。
 
写真はあきらめないで編んでみたWRAPの引き返し編み。実はメリヤス編み側のWRAP解消方法がまちがつてゐたことが判明した。この期に及んでっっ。バカバカ。
こちらにもあるとほり、ほんと、「あきらめたらそこで試合終了だよ」なのである。
といふわけで、左右対称の引き返し編みができるやうになつた。
雅亮のレヴェルがあがつた。ちゃりらりら〜。