可能性

 
代官山は渋谷の隣の駅である。
 
なにを今更、と云はれるかも知れないが、やつがれはずつとさう思つてゐた。
だから行くことはなかつた。
渋谷から電車に乗ればものの2分。なんだか乗る甲斐がない。
それぢやあ歩いて行かうとすると、あのあたりは案外山あり谷ありで疲れる(つてをい)。バスといふ手もあるが……うーん、そこまでして行きたいか?
 
といふわけで、父祖には多少の縁のある地であるにも関はらず、この年になるまで代官山に行つたことはなかつた。
♯ちなみにやつがれ父祖に縁のある地にはことごとく行つたことがない。
♯これがはじめてかも、といふくらゐである。
 
お目当てはもちろん「2006年 OKAMOTO手あみ靴下コンテスト」の展示会。実は最初行くつもりはなかつた。Webでも公開されるといふ話だつたので、それでいいかなと思つてゐた。しかしこちらのエントリを拝見しておもしろさうだつたので行くことにした、といふ次第である。
 
だが。
代官山は奈良にはなかつた。
いや、奈良にもあるのかもしれないが、代官山は東京の代官山だつた。
「なにを云つてゐるのか」といふ向きもあるかもしれない。
でも、「奈良県代官山」つて書いてあるんだもの。
「ああ、奈良にも代官山つてあるんだ」と思つてもふしぎではあるまい。
どうも想像するに、昔奈良の人の定宿があのあたりにあつたんぢやあるまいか。
ほら、「青砥稿花紅錦絵」の発端にあるではないか。弁天小僧菊之助といふと「濱松屋」や「稲瀬川勢揃ひ」ばかりが有名だけれど、芝居の冒頭で定宿に急ぐ旅人が癪で苦しんでゐるところに出くはすといふ場面がある。
あるいは「籠釣瓶花街酔醒」。これまた冒頭で、佐野の次郎左衛門が吉原の悪いのにつかまつて「茶屋で安く遊ばせますから」と袖をつかまれ、「いやいや、やはり定宿にまゐりますから」とことはらうとする場面がある。
 
いや、だから芝居の話はどうでもよくてね。
 
そんなわけで、とにかく一路代官山へ。
 
第一印象は、なんだか道に迷へと云はんばかりの町だつた。
もとい。
 
いやー、くつ下ばかりだといふのに、このおもしろさはなんだらう。
何度見ても飽きない。何度見てもそのたびに新しい発見がある。
まあいぢわるな見方をすると、「参加者が少ないと困るからあなたなにか提出して」と頼まれたどこぞの協会員の作品とおぼしきものもないわけではなかつたが……でも作品に罪はないし、どのくつ下もほんたうに見応へがあつてすばらしかつた。これは事実。
 
詳しい情報はこちらを御覧下されたく。
 
やつぱり多色使ひつていいなあ。自分が編込み模様が苦手なせゐか、さういふ作品ばかりに目がいく。オヤの先生のトルコ風くつ下なんて圧巻(但し、_Simply Socks (ISBN:1887374590)_ にあつたやうな Afterthought Heelではなかつた。ほほう、と興味深く拝見)。だし、_Socks, Socks, Socks (ISBN:0964639157)_にあつたやうな自由奔放な編込み模様もあつて、うなることしばし。
個人的には海のイメージといふあじろ編みの履き口のくつ下が好きだつたなあ。青の濃淡に波を思はせるやうな白のくつ下だつた。Webで拝見できる日を楽しみにしてゐる。
 
そして、今回強く思つたのは、「日本のニッタの強みは棒針編み・かぎ針編みを分け隔てなく扱ふこと」なのぢやないかといふこと。
めりけんの編物関連のweblogなんぞを拝見してゐると、どうもいはゆるknitterといふ人はcrochetがお好きではないらしい(やらないこともないけど)。
以前も書いたけれど、その「やらないこともない」Wendyさんは、職場の人に「knitとcrochetつてどうちがふの」と訊かれて詳細に説明し、「だからknitの方がすぐれてゐるのよ」としめくくつたといふし、_Yarn Harlot (ISBN:0740750372)_には云ひがかりだよと嘆きたくなるほどcrochetを批判してゐる部分がある。
 
翻つて本邦のニットデザイナと呼ばれる人々を見渡してみると、著名な人々のほとんどは棒針編み・かぎ針編み問はずさまざまな作品を発表してゐる。講師の資格を取るにもどちらもこなせないとダメなやうだ。
本邦では棒針編みもかぎ針編みも「編物」といふことばでくくられて、特に区別されることがないからだらう。
 
今回のくつ下の中にも棒針編みとかぎ針編みをうまく組み合はせた作品がいくつかあつた。
実は個人的にはかぎ針編みだけで編まれたくつ下に目をひかれたんだけどね。大阪のおそらくは男の子が編んだとおぼしき作品。「なぜかぎ針編みなのかといふと、売られてゐるくつ下や大抵の手編みのくつ下はみんな棒針だから。王冠をつけたのは(かぎ針編みで金ラメの糸を編んだとおぼしき王冠がアップリケみたやうに縫ひつけられてゐる)目立つし一位を取れると思つたから」といふやうなコメントがついてゐて、とても微笑ましかつたのだつた。
 
でも、黒いくつ下で、履き口にかぎ針編みのレースのモチーフをあしらひ、足の部分はメリヤス編みなんてなくつ下が実によかつた。また、同様に履き口にかぎ針編みのレースのエジングみたやうな飾りをつけたのもよかつたなあ。
 
自分で紡げるやうになれば、同じ毛糸でS撚りとZ撚りの毛糸を作れるやうになる。さうしたらかぎ針編み部分用にZ撚り、棒針編み部分用にS撚りなんてなこともできるんぢやないかなあ、とあらぬ妄想をしたり。
 
せつかくどちらも編めるんだし(といつてもどちらも大した技術は持ち合はせてゐないが)、なんとかうまく組み合はせられないものかなあ、と、ずつと考へてゐる。
 
話は変はつて懸案の引き返し編みだが。
以前「自信をなくしたのでもうあきらめやうかと」といふやうなことを書いた。
でも、どうやら世の中つてそんなものらしい。
とか云ふと、傲岸不遜と思はれる向きもあるかもしれないが。
今回いやといふほど踵の引き返し編みをじつくりとつくりと見てまはつて、「ああ、自分の編み方で悪くないんだ」と思つた。もちろん、まだまだ改良の余地はあるし、理想の引き返し編みの踵にはほど遠いのだが、でもあきらめなくてもいいんだ、と心強かつた。
今回応募したくつ下はいはゆるHeel Flapのある踵にしたが、もし次回があるのなら引き返し編みの踵に挑戦してみやうと思ふ。
 
……その前に想像力・妄想力を鍛えなければ、だらうか。
バナナのくつ下なんて、ほんたうに脱帽ものだつたのことよ。