有為転変の世の中ぢやなあ


バス停でいふと三つ先、そのあたりには手芸屋が二軒ある。
そのうちの一軒は毛糸屋といつていい。ダイヤモンド毛糸をあつかつてゐる。
近くに病院があつて、幼いころからよく通院してゐた。
先日その病院へ行くことがあつて、帰りに毛糸屋に立ち寄つてみた。實に五年ぶりのことである。五年前は、六号40センチの輪針を求めた。
おだやかさうな店主の老婦人は、やつがれのかぶつてゐたホリデーハットを見て、「編んだんですか」とたづねた。
前回も、コルトーナで編んだ帽子をかぶつてゐて、同じことをきかれた。
今回はずいぶんとほめられた。
たまたまその場に居合はせた客が、店内に飾られて居た帽子をさして、「あれと同じか知らん」といふと、店主は「(やつがれのホリデーハットの方が)ずつと上等よ」と云つてくれた。
また、「手編みの帽子は風が吹いても飛びにくい」といふことも教へてくれた。
いはれてみれば、ローワンデニムで編んだこの帽子は多少大きめに編んであるが、ちよつとした風ならやりすごせる。
ほかにも「今年は細い糸が流行りだ」とか、いろいろ話をした。
お店の人とあれこれ話すなんて、滅多にないことだ。
こども用になにか編まうと思つて、といふと、店頭に並んでゐる安い毛糸をすすめられた。洗濯機で洗ふこともできるといふ。
「女の子だつたらかういふ淡いピンクがいいわね」と云はれて手に取つたのは、やつがれもいいなあと思つてゐた色の糸だつた。
 
最後、会計をしやうとレジに向かつた店主は云つた。
「うちも来年は閉めるのよ」
 
街全体がさびれてゐる。
店主は、あざやかな青系の段染め糸で編んだ透かし模様もすてきなサマーセータを着てゐる。これが大変よく似合つてゐる。ご自身で編んだのだらう。
そんな若々しい印象の店主も、もうたうに喜寿をこえてゐる。ご亭主はさらに年上だ。
 
もう限界だ。
 
そんな聲が聞こえた気がした。
 
店内でもつとも安い毛糸を二玉手にして、その店を後にした。